2025/8/3
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250803_価値百楽堂_仲間や居場所すらない |
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仲間も、居場所もないと思っていた ―そんな僕が“第2のキャリア”に踏み出せた理由―
1.はじめに:定年が近づいた春、上司の一言で揺れた心 「お前、そろそろ“次”を考えておいたほうがいいよ」 そう声をかけられたのは、58歳の春でした。定年まで、あと2年。 自分なりに与えられた仕事には誠実に向き合い、大きなトラブルもなく日々を過ごしていたつもりでした。どこかで、「このまま静かに引退を迎えるのだろう」と淡々とした未来を受け入れていたのかもしれません。 ところが、その日を境に、胸の奥に消えない違和感が芽生えました。 帰宅すると、妻は「もうローンも終わったし、定年になったらのんびり旅行でも行きましょうよ」と、嬉しそうに笑っていました。子どもたちは巣立ち、平穏な老後がすぐそこまで来ている。そんなはずなのに、心のどこかがザワついていたのです。
「“次”って、何だろう?」 再雇用?年金生活?それとも、なにかまったく新しい働き方? どの選択肢も、いまひとつ心が動きませんでした。再雇用になっても、給料は激減し、責任も権限もほとんどなくなる。年金暮らしを想像しても、なぜかしっくりこない。むしろ、これからの人生に“空白”ができるような恐怖すら感じたのです。 そして、ふと思ったのです。 「自分には、“会社”以外に何があるのだろう?」 会社の名刺を外せば、そこに残るのは何なのか。 ——その問いに、答えられない自分がいました。
2.現状認識:肩書きを失うことは、アイデンティティの喪失? ある夜、久しぶりに昔の同期たちと飲みに行く機会がありました。 転職した人、役職定年になった人、病気で第一線を退いた人——どこかで皆が「少しずつ会社を離れつつある存在」になっていました。ところが、交わされる会話の内容は、まるで時間が止まったかのように昔と変わらず、「どの部長がムカつく」「うちの部署はまだマシ」……そんな話題ばかり。 正直、心のどこかで冷めている自分に気づきました。 帰りの電車で、窓に映った自分の顔をじっと見つめて思いました。
「自分は、もう“会社の中の人間”ではないのかもしれない」 そう気づいた瞬間、言いようのない“空白感”に包まれたのです。 会社でもない。家庭でもない。どこにも“自分の居場所”がないように感じてしまったのです。 あなたにも、そんな夜があったかもしれません。 肩書きを外したとたん、周囲との距離が生まれ、自分が「社会から切り離された存在」になっていくような気がする……。 それまでの自信や自負が、まるで名刺と一緒に引きちぎられてしまうかのように感じることがあるのです。 私たちは、気づかぬうちに“肩書き”に自分の存在価値を預けていたのかもしれません。 それゆえに、いざそれを失う局面が訪れると、「何も残らない」と思い込んでしまう。 ——本当にそうなのでしょうか? この問いこそが、次のキャリアや人生を考えるうえでの出発点になるのです。
3.問題提起:再雇用でも年金生活でもない“何か”が欲しいのに、見つからない 「“次”って、何だろう?」 頭ではわかっているつもりでも、その答えはなかなか見えてきませんでした。 再雇用で働き続けることはできるかもしれません。でも、給料は大幅に下がり、裁量権もなく、部下もいない。 それは“仕事”ではあっても、“やりがい”とは言えません。 年金生活に入るにしても、まだ心の準備ができていない自分がいました。 「一日中、何をして過ごすのか」「社会とのつながりはどうなるのか」——そんな漠然とした不安ばかりが押し寄せてきます。 ふと考えてみると、今の自分には「会社の名刺」以外に、何かを語れるものがないのかもしれない。 “役職”や“職歴”が、自分そのものになっていたのだと、気づかされたのです。 あなたも、こんな風に感じたことはありませんか? 「このまま引退するには、まだ何かが足りない気がする」 「本当は、もっと違う形で人の役に立ちたい」 「年齢を重ねたからこそできることがあるんじゃないか」 そう思いながらも、その“何か”が具体的に見つからないまま日々が過ぎていく。 周囲は「のんびりすればいい」「第二の人生は自由に」と言ってくれるかもしれません。 でも、あなたの内側では、“まだ終われない”という声が確かに響いているのではないでしょうか? ここにこそ、定年を迎える多くの人が抱える、目には見えない「空白」の正体があります。 ただの時間の余白ではなく、「人生の意味」に関わる問い。 この問いに正面から向き合わずに過ごしてしまうと、たとえ自由な時間を手にしても、どこか満たされない日々が続いてしまうのです。
4.問題の背景:会社中心で生きてきたがゆえの“居場所の喪失” 気づけば、人生の大半を「会社」という世界の中で過ごしてきました。 朝起きて、通勤して、会議をこなして、数字を追いかけて。 そこには、戦う相手も、守るべき立場も、成果を測る基準もあったのです。そして、いつしかその環境が、自分自身の“世界そのもの”になっていたのかもしれません。名刺に印字された会社名と肩書きが、自分の価値を証明してくれていた。 社内での評価や人間関係が、自分の存在を支えてくれていた。 ——だからこそ、それらが失われたとき、ぽっかりと「自分」という存在の輪郭が曖昧になるのです。 たとえば、会社を辞めた途端に、連絡がぱったりと途絶える人間関係。 名刺を持たずに参加した集まりで感じる、微妙な居心地の悪さ。 家では“父親”や“夫”としての役割はあるものの、社会の中で自分はどこにいるのかがわからなくなる瞬間が訪れます。
あなたも、ふとした瞬間に感じたことはありませんか? 「今、自分がいなくても、世の中は何も変わらないのではないか」 「会社を離れた自分に、誰が関心を持ってくれるのだろうか」 このような感覚は、決してあなただけのものではありません。 長年、組織の中で真面目に働いてきた人ほど、この“見えない喪失感”に直面する傾向があります。 社会は「老後の自由」「セカンドライフの充実」といった言葉で希望を語ります。 しかし実際には、肩書きや役割を失った瞬間に、人とのつながりも、居場所も、一緒に消えてしまうような錯覚を抱く人が少なくないのです。 この“居場所の喪失”こそが、再出発を阻む大きな壁となっています。 そして、それを乗り越えるためには、新たなつながりの中で「自分」を再定義していく機会が必要なのです。
5.共感の声:同じ悩みを抱える50代60代の仲間たち そんなある日、ふと目に留まったのが、とある「定年前後のキャリア再構築」をテーマにした無料のオンラインセミナーでした。 「自分の名前で働く」「経験を活かして新たな一歩を踏み出す」——そんな言葉が並んでいて、まるで今の自分の心の内を見透かされたような気持ちになりました。 半信半疑のまま、申し込んでみると、そこには驚くほど自分と似た境遇の人たちが集まっていたのです。元営業部長、元公務員、元エンジニア。 それぞれの分野で長年のキャリアを積み上げ、真面目に働いてきた人ばかり。 けれど、全員が共通してこう語っていました。 「この年齢になって、もう一度“自分の価値”を問い直したい」 「肩書きではなく、“名前”で勝負できる人生を歩みたい」 「同じような思いを持つ仲間が、どこかにいるはずだと信じていた」
その瞬間、私はようやく気づいたのです。 「自分ひとりじゃなかったんだ」と。 同じように不安を感じ、同じように模索していた人たちが、実はたくさんいた。 誰にも言えなかった心の葛藤や迷いを、分かち合える空間がそこにあったのです。 年齢を重ねてから、こうした「共感できる仲間」と出会えることが、どれほど大きな意味を持つのか——。 それは、ただの情報共有ではなく、“自己再生の力”をくれる対話だったと、今でははっきりわかります。 もし、あなたが今、孤独を感じているなら。 「もう手遅れかもしれない」と諦めかけているなら。 それは、まだ出会うべき仲間とつながっていないだけかもしれません。 本当の再出発は、仲間との対話から始まるのです。
6.解決のカギ:“学び”と“対話”が人生を動かした セミナーをきっかけに、私はある学びの場に参加しました。 そこでは、これまでのキャリアを振り返る「棚卸しワーク」や、自分の価値観と向き合う「対話の時間」が設けられていました。 正直、最初は戸惑いました。 「今さら、こんなことをして意味があるのか?」 「自分のような凡庸なサラリーマンに、語るほどの経験なんてあるのだろうか?」 でも、不思議なことに、回を重ねるごとに心の奥で何かが動き始めたのです。何気なくこなしていた日々の業務。 後輩への指導、顧客との信頼関係の築き方、トラブルへの冷静な対処。 それらすべてが、実は「他の誰かにとって学びになる価値のあること」だったと気づきました。自分では当たり前だと思っていた経験が、実は“財産”だった——。 その事実に、対話の中で初めて気づかされたのです。 参加していた他の人たちも、同じように驚いていました。 「えっ、それって他では学べないことですよ」「その視点は貴重ですね」と言われ、 自分の過去に対して、初めて“誇り”を取り戻す瞬間が訪れたのです。思えば、会社では評価は上から与えられるものでした。 でもこの場所では、お互いが「認め合い、引き出し合う関係」があったのです。 それこそが、再出発のエネルギーになったのだと、今ならはっきり言えます。学びとは、知識を得ることだけではありません。 それは、自分自身を見つめ直し、“新しい意味づけ”を与える営みです。 そして、それを支えてくれるのが「対話」です。 誰かと話し、誰かに聞いてもらう中で、自分では気づけなかった価値が、少しずつ浮かび上がってくるのです。「もう何もない」と思っていた心に、小さな希望の灯がともる—— それが、学びと対話の力でした。
7.小さな一歩:週2日、自分の名前で働く今の暮らし 今、私は週に2日、小さな会社の“相談役”として働いています。 営業戦略や社員とのコミュニケーションについて、社長から助言を求められる立場です。 いわゆる「業務委託」という形で、名刺には“会社名”ではなく、自分の名前だけが記されています。 収入は現役時代に比べれば、もちろん多くはありません。 でも、私は今の働き方に心から充実感を感じています。なぜなら——「あなたがいてくれて助かった」と、直接感謝される機会があるからです。相手の悩みに耳を傾け、自分の経験をもとに提案をする。 その結果、実際に職場の空気が少し変わったり、社員の動きが前向きになったりする。 それが、何よりも嬉しいのです。若い頃は昇進や成果がモチベーションでした。 でも今は、「必要とされること」そのものが、働く喜びになっていると感じます。 そして、何よりも大きいのは—— この働き方を“自分で選んだ”という事実です。 会社から与えられた役職でもなく、義務感で続けている仕事でもない。 自分の意思で、「もう一度誰かの役に立ちたい」と思って踏み出した結果が、今のスタイルです。最初は、ほんの小さな一歩でした。 でも、その一歩が、“自分で人生を動かす力”を取り戻すきっかけになったのです。 あなたにも、きっとそうした「小さな一歩」があるはずです。 それは週2日かもしれないし、月に1回かもしれない。 でも、自分の経験が誰かの役に立つと実感できたとき、そこから確かな自信が生まれます。大切なのは、最初の一歩を“自分の名前”で踏み出すこと。 そこから、人生の風向きは、少しずつ変わっていくのです。
8.まとめ:「もう遅い」は思い込み。“黄金の20年”はこれから始まる もし今のあなたが、「もう年だから」「自分には何も残っていない」と感じているのなら、それは事実ではありません。 それは、ただこれまでの人生で、自分の価値に“名前をつける時間”がなかっただけなのです。会社という組織の中では、役職や実績が評価のすべてでした。 けれど、あなたが歩んできた日々のなかには、数えきれないほどの「工夫」や「気配り」「判断」が存在していたはずです。 それら一つひとつが、これからの誰かにとっての“学び”であり、あなた自身にとっての“財産”なのです。 そして、そんな経験を言葉に変え、次の一歩につなげるためにこそ、「学び直し」と「仲間との対話」が必要になります。自分ひとりで抱えていると、過去はただの思い出になってしまいます。 でも、誰かと語り合い、共有することで、その過去が「未来をつくる材料」に変わっていくのです。年齢は、再出発の“壁”ではありません。 むしろ、積み重ねた人生があるからこそ、今だからこそできる挑戦があります。 会社を離れて初めて、自分という存在の“核”に出会える人もいます。 それは怖いことではなく、人生で最も自由で、創造的な時間の始まりかもしれません。あなたのこれからには、まだ20年、いやそれ以上の時間があります。 それはただ“老後を生きる時間”ではありません。 自分の意思で、自分の名前で、生き直すことのできる“黄金の20年”です。その第一歩を、今日ここから踏み出してみませんか?あなたの経験には、きっと価値があります。 それに気づくための場所と仲間が、ここにはあります。
9.関連記事のご紹介 今回の記事を読んで、「自分も何か始めてみたい」「でも、何から始めればいいのかわからない」と感じたあなたへ。 以下の記事も、これからの人生を考える上で、きっとヒントになるはずです。
1)価値ある人生100年の過ごし方:定年後の40年をどう生きるか?⭐️ 「長寿社会における“仕事と学び”の再設計」という視点から、人生後半の生き方を具体的に考察します。 定年を迎えたあとにこそ、あなたらしい“働き方”と“生きがい”が見つかることをお伝えしています。
2)定年後を見据えて、50代から考えるキャリア再設計⭐️ 「自分の名前で働く」を目指す人に向けた準備のヒントをまとめた記事です。 今だからこそ活きる経験の活かし方、そして必要な学び直しについて、事例を交えて解説しています。
3)“肩書きのない自分”を生きる:名刺に頼らない人生を始めるには?⭐️ 会社を離れたあと、自分は何者として生きていくのか。 その問いに向き合うあなたに、自己認識と他者との関係性の再構築についてお伝えしています。
あなたの「これから」を支えるための情報を、これからも発信していきます。 小さな一歩を、どうか今日この瞬間から踏み出してみてください。 以上です。 |
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