2022/5/17

戦場のピアニスト

 今日は5月17日、火曜日、7時10分。昨日は、かみさんと一緒に「戦場のピアニスト」を見ました。改めて今のウクライナの様子と爆撃を受けたあの街の様子っていうのは、初めて映画を見た時の街の映像と重なりました。公開された2003年当時、映画のスクリーンに映った破壊された街の様子は、現実味はありませんでした。でも、改めて見返すと今のマウリポリの映像とそっくりそのままでした。日々、キーフキーフは大丈夫かな?マウリポリでロシアが街を攻撃して残ってる建物の姿は、まさにシュピルマンが逃亡生活の果てに、塀の向こうで見た街のワンシーンと同じでした。

 

なんで急に「戦場のピアニスト」を改めて見たのか?それは、昨日「ダイバシティニュース、ラッキーF M茨城」っていう番組−YouTubeの番組−ですが、ゲストが河添恵子先生で、そのトークの中で「戦場のピアニスト」を話題にしていたからです。主人公のピアニスト、シピルマンがポーランドで暮らしていた時に、ドイツ軍が攻めてきてからの逃亡生活が描かれています。その攻めてくる中でユダヤ人である彼の家族6人がゲットーに放り込まれてゲットーから今度は、列車に乗せられて収容所に送られます。シュピルマンだけは、彼の仲間の導きで、列車に乗せられる寸前に逃亡に成功します。逃亡中の彼の葛藤がショパンのピアノ曲と共に描かれます。家族と別れた時、そして好意を持ったチェロ奏者の女性。その生活の中で、ユダヤ人がどんな扱われ方をしたのか、そして、困窮する生活の中で彼がいろんな助けを受けて生き延びていきます。

彼が潜伏していた街が、ちょうどドイツ軍の病院、警察署があるようなところで、ドイツ人居住区になっていました。そこに、ユダヤ人のシュピルマンがひっそりと隠れて、およそ半年ぐらいはいたんだろうと思います。その中で、ソ連軍が進行してきてドイツ軍が追われ、病院も攻撃を受けました。まさにあの建物の姿は、マリウポリが攻撃されたのと全く同じような姿でした。

 

最後の最後を彼が逃げ惑う中で、隠れた病院砲撃にあって、そして火炎放射を受ける中で逃げていった邸宅の屋根裏に身を隠します。そのある場所で粉ミルクの缶を見つけて、缶を開けている様子をドイツ軍将校が後ろからじっと見つめていた。なかなか開けられない姿を見て彼に「何してるんだ?」と問いかけます。「職業はなんだった?」という。シュピルマンは「ピアニストでした。」と答えます。ドイツ軍将校は音楽好きだったんですかね。シュピルマンをピアノのある部屋に連れて行って何か弾いてくれと頼みます。シュピルマンは、バラード1番を辿々しく弾き始めます。逃亡期間がもう2年ぐらいになっていて、指が鍵盤に馴染まないのでしょう。逃亡中でも、エアプレイでピアノを弾いてたが、実際にピアノを弾くのは、指がうまく動かず辛かった、命懸けの演奏だったのではないでしょうか。
そういうシーン、多分ドイツ将校は心打たれる演奏だったんでしょう。その後、食料を必ず届けてくれていました。ハムやパン、ジャムを指で掬って口に運んだ時の甘さを味わうシュピルマンの仕草がとても印象的でした。

 

物語の最終版に向かっていくと、ソ連軍の支配する収容所で捕まっているドイツ兵の集団の横を解放されたユダヤ人の集団が通りがかった。その中に、かつてラジオ放送局の技師だったシュピルマンの知人に向かって、そのドイツ将校が囲われたフェンス越しに「シピルマンに助けてくれるように伝えてくれ」と頼むのですが、彼の名前を聞き取れずにシピルマンはその後、このドイツ将校を探すことができませんでした。

 

この映画の原作を書いたシュピルマンは、まだ結婚していないうちに逃亡生活を綴ったこの原稿を書いて、出版社に送ったんだけども出版されてもすぐに廃刊になってしまっていたようです。そして、199なん何年かに98年に再版されて、この映画のロマン・ポランスキー監督が映画化を目指したのでした。彼もユダヤ人で被災し、そして逃げ惑った中の1人と聞いています。彼が映画監督として、この物語を映画化したということです。

 

シュピルマンは、この原作を書いた後に結婚しました。2019年に河添さんは、シュピルマンの奥さんにインタビューして、改めて戦争のあった現実、シュピルマンが遭遇した実話を改めて振り返りました。でも考えてみれば、歴史は繰り返すんでしょうね。同じようなことが今、ウクライナで起きている。これを元に河添さんはノンフィクション作家ですから、今のウクライナの状況を本にまとめてくださる、と思います。

 

先の見えない絶望した生活の中でシュピルマンが生き残れたのは、エアーで弾いて頭の中で回る、ピアノの旋律だと思います。彼を支えてくれたのは、音楽で本当に飢えた生活の中で人間が動物になり変わろうとするぐらいの精神状態の中で彼の心を救ってくれたのは、音楽でしょう。

 

私の娘が、ピアニストを目指して音大を出て、今は子供が生まれて育児に追われているところです。今はまだ、日本は平和です。彼女と家族がそしてその地域が、何らかの軍事的な侵略を受けてしまうかもしれません。そんな時、シュピルマンが絶望する生活の中で、気持ちを繋いだように、この娘が音楽で人々の心を癒し、命を繋ぐ機会があれば、そんな人になってほしいと願います。思い起こせば彼女の旦那は、結婚を申し込みに来た時に、「戦場のピアニスト」の例で絶望した人間を救えるピアニストになれるように願っていると伝えました。今は幸せだと思います。でもこの先、何が起こるかわかりません。絶望の中で生きていく孫とその子供たちかもしれません。そんな時代が来ても、人々の心を支える「音楽」はあると思います。そんな人になってほしいと思いました。

以上です。