2022/7/29
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「闘戦経」第2部 外来思想の批判 |
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今日は7月29日時間7時40分です。
今日は第2部「外来思想の批判」ということでお話をしていきます。
第8章のタイトルを「謀略を説くチャイナの戦略書」としています。日本に生まれた我々としては策を見抜いて、その策の先にある事態を想定して、策に溺れさせてしまえ、というようなことで考えれば良いのじゃないでしょうか?謀略を説くチャイナの戦略書として孫子のいろんな教えがありますが、謀略を説くチャイナの戦略をしていてはダメなんですよ、という趣旨です。
読み下し文です。「漢(から)の文は詭譎(きけつ)有り。倭(やまと)の教(おしえ)は真鋭(しんえい)を説く」です。漢(から)というのは漢文の漢です。これは漢の時代です。「詭(き)なるかな詭や。鋭なるかな鋭や。孤を以て狗(いぬ)を捕へんか、狗を以て狐を捕へんか」
チャイナの諸文献によると「全て相手を偽り欺くのがよい」としています。考えてみると、中国の人は、まずは人を欺くということをベースに物事の行動が取られている。まあ、実際に中国行ってみて、彼らの言動を国の要職におられる方の考えていること、やっていることは全て、欺くことから始まっているという風に感じましたね。孫子の中で有名な言葉は「兵は詭道(きどう)なり」です。訳すと「戦の本質というのは、敵をだまくらかして勝つことだ」ということです。しかし、日本の縄文の考えから来ている闘戦経ではそんな、みみっちい話じゃないよ、ということですね。偽るのが良いというのは偽りである、鋭いのが良い、というのは鋭い真実である、ということです。
漢民族の世界というのは「キツネを使ってたぶらかしてイヌを捕まえるというような逆のことをやっているじゃないか。おかしいじゃないか。もちろん日本の考えの方が真であることは言うまでもない」と大江さんは言うということですねえ。「漢(から)の文は詭譎(きけつ)有り。倭(やまと)の教(おしえ)は真鋭(しんえい)を説く」大和の教えは真鋭を説くということです。
だから秘密裏にされてきた。この闘戦経が秘密裏にされたっていうのは、これが公になると外交問題になってしまいかねないので、決して公にはしなかったということです。だからこそ秘密に伝えられた秘文みたいなものだということなんです。
さらに「言っていることとやっていることが一致しているということ。そして言葉というのは必ず現実になっていることを言わなければいけない」ということ。これが真実であると、そういう日本人の哲学っていうものがここに現れているということです。
続いて第9章「闘魂:戦う気迫」とタイトルにしました。第9章の文章は非常に短い。「兵の道は能(よ)く戦うのみ」これだけしか書いてありません。「兵の道は人をだまくらかして勝つなんていうことじゃないよ」と笹森先生の解釈は「兵の道はただよく戦いさえすれば良いのである。それ以外に、とやかく言うことはない。」要するに、孫子の完全否定です。詭道(きどう)を完全に否定している、ということです。
第13章は孫子の批判なんです。孫子というのは西洋の言語にも訳されて、今から2500年も前にこんな優れた戦略書があったのか、ということで欧米人は驚いているのです。けれども、人の世の東西を問わず高く評価されている書物ですが、所詮はその程度のものであるよ。その程度というのは、騙して勝つ、ただそれを言っているだけが孫子であって、全体から見た時には、そんなものはごく一部の戦い方の1つである、ということです。
第13章、タイトルとして、損死は死を恐れる思想というふうにタイトルがついています。読み下し文です「孫子十三篇、懼(く)の字を免れざるなり」孫子死は13編からできている本ですが恐怖から逃れない、逃れるためにどうするかという、そういうまあ、チキンレースで言えば、チキンって言われて食ってかかっているような、そんな話みたいなねえ。
意味としては孫子は13章あって13に分かれています。けれども、いくら思いを凝らして書いてあるが、事ごとく敵を恐れる考えから逃れることはできません。その程度のものですよ、という風に言っています。完全に見下しています。自分の死を恐れる敗北を恐れる敵を恐れるということは、自分が負けるということを恐れ、負けたら殺されるのではないかと死を恐れると、ただそれだけのものだろうと言っています。だから負けたくない。だから、相手を騙しても勝て、そういうことを言っているだけじゃない。実にくだらんもんだな。これは下らんとは言ってないんですが、読みは、見下した言い方です。言い方を応援はしている、ということですねえ。
孫子の3編、懼(く)の字を逃れられない。どんなに逃れようと思っても、基本は恐怖感だろう、恐怖感を克服できれば、ぐずぐず言うことはないんだと言いたいのですね。孫子の考え方などは負けの時は逃げりゃいいじゃないか、ということにもなってくるということですねえ。国が滅びたらもうおしまいですから、その国の人間は全部奴隷にされるか殺されるか、それがユーラシア大陸の戦争です。そうですね、今もそういう恐れの中でウクライナは戦っているのです。その戦い方を称して⭕️⭕️⭕️君が「もう戦うのやめて早く降参して逃げろよ」言うのだけれども捕まえられて殺されるっていうのがユーラシア大陸の戦だということを⭕️⭕️君は知らないのではないでしょうか? 「武経七書」というんですが、チャイナでは有名な戦略戦術論、戦をいかに勝つかということを書いた有名な本が「三略」とか、『六韜( りくとう) 』とか『尉繚子( うつりょうし)』とか、7編あるのですが、その中の筆頭というのが『孫子』です。「闘戦経」では「この孫子なんていうのは大したことないよ。あまりありがたがるものじゃありませんよ」と一刀両断しているということです。「死地に望んで、もう自分の死に意味があるんだとすれば、喜び勇んで進んで自分の命も犠牲にする、ということ。これが元来の日本人の生き方、こういう話を聞くとまさに特攻作戦というものがあったんですがその心境ってなんだったんだというと闘戦経なんですね。「最後は勝たなければいけない。しかし、勝つために自分が捨て駒になって、自分の軍、自分の国、日本が勝つならば、そのためには進んで自分の命も捧げようじゃないか、と、そういう心境に行かないとダメなんですよ」と言っているということです。
⭕️⭕️くんは、あの特攻作戦は大っ嫌いですからね。ただその精神性の高さとか、その戦略の中にある捨て駒になっても最後は日本が勝つんだ、という風に考えるんであれば、あるいは日本の国が残るということになればいいじゃないか。喜んで捨て駒になろうじゃないかという。この心意気っていうのは中国やユーラシアにはない。だから理解できない。もうあり得ない戦略だ、戦術だという風に西洋人は言いますけどね、日本の大和心からするとそれでも日本国を守るために行こうじゃないかとその勇良さや精神的な高さによって日本は今でも国は残ってるし、天皇の世は続いているというわけですよね。
そういうことをやっぱり考えないといけないですよね、この歴史が例えば―話は逸れるんですが―天皇という世がなくなってしまったらどうなるかっていうと、守るものがなくなるわけですから、これがなくなったら日本はバラバラになるな、と、確かにその通りだなと思われますね。チャイナは、そこを狙っているし、共産党も極左政党も皇室を無くすことを狙っています。立憲民主党もよく似たようなものでしょう。
第19章は謀略の否定的な話です。タイトルは「儒者や謀略家は無用」とつけられています。「儒者や謀略家は戦にはいらない」ということです。読み下しは「儒術は死し、謀略は逃る」と言っています。そして「貞婦の石と成るを見るも、未(いま)だ謀士の骨を残すを見ず」と言っています。意味は「儒者の術、儒術というものは、もう死んでいる。儒教というものは役に立たないもんだ」ということです。
なるほどね。飛んじゃうんですが、藤井先生の言いたいことが、ここに結集してるなと思うんで読みます。「日本民族が、大和民族が、こんなものを立派なものだと考えちゃいけないよ。日本民族にきちんとワクチンを打っておくというか抵抗力を付けて、読むのも悪くはないけれども、初めからそういった日本の本来の精神の高さを忘れないで、こういったものを消化しなさい」というふうに言われていますねえ。
F機関という話も出ています。インド独立に大変大きな力を発揮した「藤原岩市」さんが名言に「皇軍も謀略を用いることがあるが、皇軍の謀略は誠の一字あるのみ」と言っているということです。「時には味方を欺くことも必要かもしれないだけど、誠の精神でそれをやるんですよ」というふうに言っているんです。これは日本人でないとわからない言葉かもしれません。
第23章「呉子」というものがある。 読み下し文です。「呉起の書六篇は、常を説くに庶幾(ちか)し」解釈です。「呉起の書いた六篇からなる『呉子』は、常の道を説いて、それに近い」日本人が素直に読んだ場合、『孫子』の戦略論よりは『呉子』の戦略論の方が、胸にスッと腑(ふ)に落ちると思いますよ。というのが藤井先生の話です。 孫子の謀略論より呉子の常識論の方がいい。呉起が魏(ぎ)という国の文侯(ぶんこう)という王様と交わした問答というのが、この『呉子』という本になっているのです。『呉子』というのも、時間があったら読んでみると「今の日本人にもそんなに悪い本ではないな」というようなことを大江卿が書いています。 この章のまとめですけれども、「まず我が武があり」みたいなものを抜き落として『孫子』だけを読んで「だまして勝つ」とか、その表面だけを受け取っていくと、日本人の良さというか、そういうものが失われてしまうと、そういう警告も込めて言っているのですね。さらに「孫子では本当に強くなれないんですよ」という風に解いているということです。闘戦経の中にある意味合いとすれば、孫子の騙くらかしよりも精神的な高さというものをちゃんと持った上で、孫子も参考にしましょう、知っていて毒はないからね、つまり敵の様子を見て「こいつら騙しに来たな」というような戦略を見抜くには孫子は持ってこいだよね。ということだと思いますね。 以上です。 |
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