2025/10/28

251028日本の統治時代-朝鮮半島

日韓の“記憶の分岐点”

―なぜ台湾は日本を尊敬し、韓国は憎むのか―

 

1.導入:同じ日本統治下でも、なぜここまで違うのか?

同じ時代に日本の統治を受けていたにもかかわらず、韓国と台湾のあいだには驚くほど大きな感情の差があります。
韓国では日本を「奪う国」と教え、台湾では「共に歩んだ国」と語る——この違いは、単なる教育方針の差ではありません。
そこには、国家の選択と指導者の思想が深く関わっているのです。

たとえば、1995年に韓国で行われた「旧朝鮮総督府の爆破」。
それは、かつての日本統治の象徴を“完全に消し去る”という政治的パフォーマンスでした。
一方で、同じように日本統治時代に建てられた台湾の旧総督府は、今も「総統府」として現役で使われています。
この対照的な姿勢は、過去との向き合い方が国の成熟度を左右することを物語っています。

日本統治の評価をめぐる議論は、単に歴史の問題ではなく、いまをどう生きるか”という精神の問題でもあります。
あなたが日々ニュースで見る日韓関係の緊張や、日台の温かな交流の背景には、こうした「記憶の分岐点」があるのです。

本記事では、韓国と台湾が同じ過去からまったく異なる現在を歩むようになった理由を、教育・政治・国民感情の三つの視点から探っていきます。
そして最後に、歴史を誇りとして受け入れることが、未来を切り拓く第一歩であるという希望をお伝えします。

 

2.問題の説明:韓国が抱え続ける「被害の物語」

韓国の近代史教育をたどると、そこには一貫したストーリーが見えてきます。
それは、「日本は奪い、韓国は奪われた」という被害の物語です。
この物語は、世代を超えて学校教育やメディアを通じて繰り返し語られ、やがて国民の“常識”として定着していきました。

象徴的なのが、1995年に行われた旧朝鮮総督府の爆破です。
歴史的建造物でありながら、韓国政府はそれを「独立の象徴」として破壊しました。
この行為は、過去を清算するどころか、自国の近代化の一部を“なかったこと”にする行為でもありました。
政治的には喝采を浴びましたが、国民の中に「歴史の空白」を残したのです。

韓国の教科書では、日韓併合条約が「皇帝の署名がないため無効」と説明されるなど、国際法的な根拠を欠く主張が見られます。
また、近代医療制度の整備や衛生改革など、日本によって導入された近代的な仕組みについてはほとんど触れられていません。
感染症による死亡率の激減や、平均寿命が約2倍に延びたという歴史的事実さえも記載されていないのです。

さらに、朝鮮戦争で重要な役割を果たした元日本軍出身の韓国軍人たちも、教科書から姿を消しました。
彼らの存在は、反日史観の“都合の悪い真実”として封印されたのです。
このように、教育の中で日本統治時代の功績や複雑な現実を省くことで、「被害者としての韓国」という自己イメージだけが強化されていきました。

しかし、その根底には単なる歴史教育の問題だけでなく、政治的な意図が隠されています。
初代大統領・李承晩は、自らの政権基盤を固めるために反日感情を利用し、外敵”を設定することで国内の不満を逸らしたのです。
その結果、歴史は学問の対象ではなく、政治の道具となりました。

いまの韓国社会における反日感情の根は、単なる感情論ではなく、長年にわたる国家的な物語の積み重ねにあります。
そしてこの物語こそが、韓国が過去を超えられず、未来志向の関係を築けない最大の要因となっているのです。

 

3.要因分析:李承晩体制が植えつけた“反日ナショナリズム”

韓国の「被害の物語」は、偶然に生まれたものではありません。
その根は、建国の父と呼ばる李承晩(イ・スンマン)初代大統領の政治戦略に深く結びついています。
彼は戦後の混乱の中で、国家を一つにまとめるために「反日」という感情を利用しました。
それは、統一国家を築くための理念ではなく、権力を維持するための政治的装置だったのです。

李承晩政権は、国内の不満や対立を「外敵=日本」へと向けることで統治を安定させました。
そのため、教育現場には「日本=悪」という図式が徹底的に植え付けられました。
学校では、植民地支配の痛みばかりが強調され、実際の近代化の過程やインフラ整備の成果は語られませんでした。
歴史教科書には「朝鮮は自らの力で近代国家を築いた」と記され、
感染症の克服、鉄道や上下水道の整備、近代医療制度の導入など、客観的なデータに基づく史実は省かれています。

さらに深刻なのは、教育の歪みが世代を超えて受け継がれてきたことです。
李承晩の「反日国家像」は、朴正熙政権、全斗煥政権を経ても形を変えながら継続しました。
とくに朴正熙時代には、経済成長のための対日賠償金を受け取りながらも、国民には“反日教育”を続けるという二重構造が生まれました。
政治では日本に依存し、教育では日本を敵視する——その矛盾が、いまも韓国社会の根に残っています。

また、メディアもこの構図を強化しました。
テレビや映画では、日本統治を「抑圧と搾取の時代」として描く作品が繰り返し放送され、
若い世代の無意識にまで「日本=悪」というイメージを刷り込んでいきました。
こうして、政治・教育・メディアが一体となった“反日の装置”が社会全体に組み込まれていったのです。

本来、歴史とは事実をもとに過去を理解し、未来を見つめるための学問です。
しかし、李承晩体制下の韓国では、歴史は政治の都合に合わせて改ざんされる道具になってしまいました。
その結果、「事実を受け入れる勇気」よりも「感情を守る正義」が優先される社会が形成されたのです。

この構造は、単に一時代の政治的問題ではなく、国家のアイデンティティそのものを歪める要因となりました。
そしていまもなお、日韓関係の根底に横たわる「見えない壁」として存在しています。

 

4.国民の意見:対照的な台湾の「日本再評価」

韓国が「被害の物語」を強調する一方で、台湾はまったく異なる道を歩んできました。
同じ日本統治下にありながら、台湾では日本時代を“近代化の出発点”として再評価する動きが広がっているのです。

転機となったのは、1997年に登場した歴史教科書『認識台湾』でした。
この教科書は、それまでの国民党政権による“反日教育”を改め、事実に基づいた客観的な歴史観を導入しました。
その改革を主導したのが、台湾の元総統・李登輝です。
日本教育を受けた彼は、「台湾人自身の歴史を、自らの言葉で語るべきだ」と提唱し、台湾社会に新しい価値観をもたらしました。

李登輝は、日本統治を単なる支配の歴史としてではなく、近代国家としての礎を築いた時代として位置づけました。
上下水道、公衆衛生、医療制度の整備によって死亡率が大幅に低下したこと。
教育の普及により識字率が飛躍的に向上したこと。
これらの事実を、政治的色付けをせずに教科書へ記したのです。

こうした取り組みが台湾の人々の意識を変えました。
2022年の世論調査では、台湾人の約77%が日本に好感を持つと答えています。
それは一時的なブームではなく、世代を超えて受け継がれる信頼感です。
台湾では「日本人は誠実で、約束を守る民族」という評価が広く共有されています。
この背景には、統治時代に築かれた秩序・勤勉・清潔といった生活文化の記憶があるのです。

さらに注目すべきは、李登輝が掲げた「立憤精神(日本精神)」という理念です。
それは、困難に立ち向かう勇気と誠実さをもって社会を築くという思想であり、台湾の民主化運動の原動力となりました。
李登輝は総統として直接選挙を導入し、国民が自らの意思で政治を選ぶ仕組みを整えました。
彼の改革は、「外から与えられた民主主義」ではなく、「自ら勝ち取った自由」として、台湾の誇りとなったのです。

この精神は、現在の頼清徳政権にも脈々と受け継がれています。
台湾が国際社会で堂々と存在感を示している背景には、日本精神を受け継いだ政治文化と国民意識があるのです。

つまり、台湾の人々は過去を否定するのではなく、歴史を糧として未来を築く道を選びました。
それが、韓国とは正反対の「誇りの物語」を生み出したのです。

 

5.解決の糸口:歴史を“誇りとして受け入れる”精神の自立へ

韓国と台湾の対照が教えてくれるのは、歴史をどう語るかが、その国の未来を決めるということです。
過去を否定し続ける国は自己否定を深め、過去を誇りとして受け入れる国は自信を得て前に進みます。
日本もまた、この教訓を自らの姿勢に照らして見つめ直す時期に来ているのではないでしょうか。

歴史を“誇りとして受け入れる”とは、過去を美化することではありません。
それは、事実を事実として受け入れ、功績も過ちも等しく学ぶ姿勢のことです。
台湾が示したように、近代化の成果を素直に評価しつつ、その影にある苦難も正面から語ることで、はじめて「歴史の全体像」が見えてきます。
これは、教育における“感情ではなく証拠に基づく学び”の大切さを示しています。

また、政治の側も、過去を利用するのではなく、未来を共に築くための対話の場を整える責任があります。
日韓関係の改善を本気で望むなら、互いを批判するための歴史ではなく、共に未来を語るための歴史へと転換しなければなりません。
それには、両国の学者や若い世代が感情に縛られず、共同で史料を検証し合うような教育・文化交流の仕組みが欠かせません。

そして何よりも大切なのは、あなた自身が歴史を「誰かに教えられるもの」ではなく、自ら考え、感じ、判断するものとして受け止めることです。
他国がどう評価するかよりも、自分が自国の歴史をどう理解し、どんな未来を描くかが重要なのです。
李登輝氏が語った「精神の自立」とは、まさにその内面的な成熟を意味します。

日本が再び誇りある国家として歩むためには、外からの批判に反発するのではなく、自らの歴史を信頼する心を取り戻すことが必要です。
それは国家だけでなく、一人ひとりの生き方にもつながります。
過去を受け入れることは、自己を受け入れること。
その延長線上にこそ、健全な国際関係と豊かな未来が築かれていくのです。

 

6.まとめ:歴史は鏡、そして羅針盤

韓国と台湾、二つの国の歩みを比べると、同じ過去からまったく異なる未来が生まれることがわかります。
韓国は「被害の記憶」を政治に利用し、いまも歴史の中で足を取られています。
一方の台湾は、日本精神を受け継いだリーダーのもとで“精神の自立”を果たし、自信と誇りをもって未来を切り開いてきました。

この違いは、歴史そのものではなく、歴史への向き合い方の差によって生まれたものです。
台湾の人々が見つめたのは、「支配か被支配か」という構図ではなく、「そこから何を学び、どう活かすか」という視点でした。
だからこそ、彼らは日本を敵視するのではなく、共に進化した過去として受け入れることができたのです。

歴史は、過去を閉じ込めるための箱ではなく、未来を照らす羅針盤です。
事実を直視する勇気と、異なる立場を尊重する知恵があれば、
どんな国も誇りと尊厳を取り戻すことができます。
日本にとっても、いま必要なのは「謝罪」や「正当化」ではなく、
自らの歴史を信頼する静かな確信です。

あなたがもし、過去の出来事に対して迷いや複雑な感情を抱いているなら、
それは自然なことです。
けれど、その感情の奥にこそ、何を守り、何を次の世代に伝えるのか”という問いの種があります。
その問いに誠実に向き合うことが、歴史を鏡として生きるということなのです。

台湾が示したように、誇りを持って過去を受け入れた国は、未来に希望を描けます。
そしてその希望は、私たち一人ひとりの中にも灯すことができるのです。
歴史は他人事ではありません。
あなた自身の心のあり方が、国家の記憶を形づくる——
そのことを、どうか忘れないでください。

 

7.関連記事:歴史を未来に生かすための読みもの

歴史を学ぶということは、過去の出来事を暗記することではありません。
それは、「なぜそうなったのか」「自分ならどうするか」を考えるきっかけを持つことです。
今回の記事を通じて、あなたが感じた疑問や興味をさらに深めるために、以下の記事もあわせて読んでみてください。

1)「戦後教育が失った“日本精神”とは何か」⭐️

戦後の教育改革が日本人の誇りや精神性にどんな影響を与えたのかを考察します。
台湾の「立憤精神」との対比を通じて、私たちが再び取り戻すべきものが見えてきます。

2)「李登輝が遺した民主主義の種」⭐️

“日本精神を礎にした民主化”を実現した李登輝の思想と、その継承者である蔡英文政権の姿勢を追います。
「自由」と「誇り」の両立を模索する台湾の歩みは、現代日本への示唆に満ちています。

3)「韓国反日教育の起源とメディアの構造」⭐️

李承晩体制が築いた「反日装置」は、いかにして教育・報道・映画の中に組み込まれていったのか。
感情ではなく事実で歴史を捉えるための視点を提示します。

4)「歴史を誇りに変える——台湾モデルから学ぶ国家の成熟」⭐️

過去を否定するのではなく、学びに変えた台湾の姿勢を通して、「精神の自立」とは何かを問い直します。
あなた自身の人生にも応用できる“成熟のヒント”が詰まっています。

歴史を正しく理解することは、国家の未来だけでなく、あなたの生き方を豊かにする羅針盤になります。
次の記事で、もう一歩深い旅へと踏み出してみてください。

 

以上です。

 

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