2026/1/23

260123_偏向報堂-WHOと感染症

なぜ日本はWHOの「パンデミック改正」を黙って受け入れたのか?

-IHR改正が問う主権と感染症政策の真実

 

1.導入:「知らないうちに決まっていた」パンデミック政策

「感染症対策」「国際ルール」「専門家の判断」──
こうした言葉を聞くと、それが正しい前提で決まったことなのだろうと、あなたも無意識に受け入れてしまった経験はないでしょうか。しかし、もしその裏側で、ほとんど報道されることなく、国会で十分な議論も行われないまま、日本の感染症政策の枠組みが大きく書き換えられていたとしたらどうでしょう。
それも、「パンデミック」という強い言葉を盾に、主権や人権、国内法との整合性が曖昧なまま進められていたとしたら──。

2024年9月、WHO(世界保健機関)の国際保健規則(IHR)が改正され、日本はそれをほぼ無条件で受け入れました。多くの欧米諸国が留保や拒否、延期を表明する中で、日本だけが静かに、そして速やかに組み込まれていったのです。

本記事では、このIHR改正を起点に、パンデミック政策がどのような構造で決められてきたのかを整理します。
恐怖や陰謀論ではなく、事実と制度、そして判断のプロセスに目を向けながら、あなた自身が「本当に考えるべき問い」に向き合うための材料を提示します。感染症対策は、決して他人事ではありません。
それは、あなたの生活、自由、そして判断権に直結する問題だからです。

 

2.何が問題なのか:WHOとIHR改正の本質

今回の問題を理解するために、まず押さえておくべきなのがIHR(国際保健規則)とは何かという点です。IHRは、感染症の国際的拡大を防ぐことを目的に、各国の対応基準を定めた国際ルールです。一見すると、人々の安全を守るために必要な枠組みに見えるかもしれません。

しかし、2024年9月に発効したIHR改正では、その性質が大きく変わりました。改正後のIHRでは、「パンデミックの恐れがある」と判断された段階で、各国が取るべき対応が事実上義務化され、国内事情や法制度よりも国際判断が優先される余地が広がっています。ここで問題になるのが、誰が、どの基準で「パンデミック」を判断するのかという点です。

さらに深刻なのは、日本国内において、この改正がほとんど報道されず、国会で実質的な審議も行われなかったことです。厚生労働省が国内IHR当局として指定されましたが、その過程や影響について、国民が十分な説明を受けたとは言い難い状況です。あなたは、この決定について、事前に詳しく知る機会があったでしょうか。

一方で、欧米諸国の多くは、IHR改正に対して留保・拒否・発効延期といった対応を取りました。つまり、国際ルールであっても、自国の主権や人権、国内法との整合性を重視し、慎重に判断したのです。その中で、日本だけが大きな異議を唱えることなく受け入れたという事実は、決して軽く見過ごせません。

この問題の本質は、感染症対策そのものではありません。
「非常時」を理由に、どこまで国の判断権を外部に委ねてよいのか、そしてその決定過程に、国民であるあなたの意思が反映されていたのかが問われているのです。

 

3.問題はどこから生まれたのか:感染症研究と国際連携の実態

IHR改正が突然決まったように見える一方で、その背景には、長年にわたって積み上げられてきた国際的な感染症研究ネットワークがあります。この構造を理解しなければ、今回の問題の本質は見えてきません。

日本の感染症研究の中核を担ってきたのが、国立感染症研究所、いわゆる「日本版CDC」です。この研究所は、2010年に中国・武漢ウイルス研究所と感染症分野での協力に関する覚書を締結していました。ここで重要なのは、研究協力そのものではなく、その連携がWHOを軸とする国際研究体制の一部として組み込まれていたという点です。

さらに、各国の研究機関は、BSL-4と呼ばれる最高度の安全管理が求められる研究施設を中心に連携を深めてきました。これらの施設では、致死性の高いウイルスや病原体を扱う研究が行われます。表向きは公衆衛生や感染症対策を目的としていますが、同時に、軍事転用も可能な「デュアルユース研究」という性質を持っています。

このような研究は、米国、中国、日本といった国家の枠を超え、事実上一体化した国際研究ネットワークの中で進められてきました。その結果、感染症対策は「各国の政策判断」ではなく、国際的に共有された研究成果とリスク評価に基づく「統一対応」へと傾いていきます。

ここで生じる問題は明確です。
研究と政策の距離が極端に近づくことで、政治的な判断や国民的な議論が後景に追いやられるのです。あなたが知らないところで、「科学的判断」という名目のもと、政策の選択肢が事実上限定されていく構造が生まれます。

つまり、IHR改正は単なる制度変更ではありません。
感染症研究・国際機関・各国政府が密接に連動する体制が、平時から準備されていた結果として現れたものだと言えるのです。

 

4-1.パンデミック政策をめぐる国民の声と分断

こうした国際的な感染症政策の動きに対して、日本国内でも静かな違和感と疑問が広がってきました。その象徴的な動きの一つが、WHOからの脱退やmRNAワクチン政策の見直しを求める国民運動です。新宿などで行われた大規模なデモには、年齢や立場の異なる多くの人々が集まりました。

参加者の声に共通しているのは、「感染症対策そのものに反対しているのではない」という点です。問題視されているのは、政策決定の過程が見えないこと、異論が排除されやすい空気、そして説明責任の欠如でした。あなたも、「専門家が決めたことだから仕方がない」と説明を打ち切られた経験はないでしょうか。

一方で、こうした声に対しては、「陰謀論」「反科学」といったレッテル貼りが行われる場面も少なくありませんでした。SNS上ではアカウントの凍結や投稿制限が相次ぎ、情報発信そのものが困難になった事例も報告されています。この結果、賛否を冷静に議論する場そのものが失われていったのです。

ここで生じたのが、国民の間の深い分断です。
一方には、「非常時なのだから従うべきだ」という立場があり、もう一方には、「非常時だからこそ慎重であるべきだ」という立場があります。しかし、本来この二つは対立概念ではありません。どちらも、社会の安全を願う気持ちから生まれたものだからです。それにもかかわらず、議論が成立しなくなった背景には、「疑問を持つこと自体が許されない空気」がありました。あなたが感じた小さな違和感が、口に出した瞬間に否定される社会では、健全な民主的判断は育ちません。

この章で見えてくるのは、政策の是非以前に、国民が考え、問い、議論する権利そのものが揺らいでいるという現実です。それこそが、パンデミック政策をめぐる、もう一つの深刻な問題なのです。

 

4-2.何が起きているのか:ワクチン政策と情報の非対称性

パンデミック政策を語るうえで避けて通れないのが、ワクチン政策と情報の扱われ方です。特にmRNAワクチンをめぐっては、その有効性や安全性に関する評価が、社会の中で大きく分かれました。にもかかわらず、日本では慎重な検証よりも「早く、広く接種すること」が最優先されていった印象が否めません。

ここで問題となるのが、情報の非対称性です。政策を決定する側は、臨床データや国際的な研究報告にアクセスできますが、あなたを含む一般の国民が得られる情報は、要約された結論や一方向のメッセージに限られていました。副反応や長期的影響に関する議論は、十分に共有されたとは言い難いのが現実です。

さらに、初期段階で使用されていた治療薬が、明確な比較検証を経ないまま選択肢から外れていった点に、疑問を感じた人も少なくありません。ここでも、「科学的判断」という言葉が繰り返し使われましたが、どの仮説が検証され、どの選択肢がなぜ退けられたのかについて、丁寧な説明が行われたとは言えないでしょう。

結果として生まれたのは、政策への信頼と不信が同時に拡大するという歪な状況です。疑問を持つ人は「反対派」として一括りにされ、従う人は「正しい側」に置かれる。こうした二分法は、あなたが冷静に考える余地を狭めていきます。

本来、科学とは常に更新され、反証され、議論され続けるものです。にもかかわらず、パンデミック下では、科学が「議論を終わらせるための言葉」として使われる場面が目立ちました。
この情報環境の中で、あなたが自分自身の判断を持ち続けることは、決して容易ではなかったはずです。

 

5.主権を守るために必要な視点

ここまで見てきた問題に対して、「もう決まってしまったことだから仕方がない」と感じてしまうかもしれません。しかし、選択肢が完全に失われたわけではありません。重要なのは、パンデミック政策を「善か悪か」で判断するのではなく、どのような前提と手続きで決められているのかを冷静に捉え直すことです。

まず押さえるべきなのは、国際ルールは無条件に受け入れなければならないものではないという点です。実際に、多くの国がIHR改正に対して留保や適用延期を選択しました。これは国際社会に背を向けた行為ではなく、自国の主権・人権・法制度との整合性を確認するための正当な判断です。日本にも、本来その選択肢はありました。

次に必要なのは、科学と政治を意識的に切り分けて考える姿勢です。科学的知見は重要ですが、それだけで政策が自動的に決まるわけではありません。最終的に社会にどのような制約を課すのか、どこまで個人の自由を制限するのかは、価値判断を伴う政治の領域です。この線引きが曖昧になるほど、国民の意思は反映されにくくなります。

そして何より重要なのが、あなた自身が「判断を委ねきらない」ことです。専門家の意見を参考にしつつも、異なる見解に目を通し、制度や背景を知ろうとする姿勢が、社会全体の抑止力になります。疑問を持つことは、社会を壊す行為ではありません。むしろ、健全な民主主義を支える前提条件です。

パンデミックは、いつか必ず再び起こります。そのときに問われるのは、対策のスピードだけではありません。
「誰が決め、誰が責任を負い、あなたはどう関わるのか」。
この問いを持ち続けることこそが、主権を守るための最も現実的なソリューションなのです。

 

6.まとめ:「考えないこと」こそ最大のリスク

本記事では、WHOとIHR改正を起点に、パンデミック政策がどのような構造で決められてきたのかを整理してきました。見えてきたのは、感染症対策そのものの是非ではなく、「非常時」を理由に、判断の主体が国民から遠ざけられていく構造です。

国際ルール、専門家の判断、科学的根拠──。これらは本来、私たちの安全を支えるための手段であるはずでした。しかし、それらが議論を終わらせるための言葉として使われたとき、あなたの判断権は静かに後回しにされていきます。恐怖が先に立つ状況では、「考える余裕」そのものが奪われてしまうのです。

ここで強調したいのは、疑問を持つことは危険でも反社会的でもないという点です。むしろ、問いを立て、背景を知り、選択肢を確認しようとする姿勢こそが、民主社会を支える土台になります。パンデミックのような非常時ほど、その姿勢は重要になります。

感染症は、いずれまた現れます。そのとき、あなたに求められるのは、すべてを拒否することでも、すべてを受け入れることでもありません。
誰が決め、どんな前提で動いているのかを知り、自分の頭で考え続けることです。

「考えないほうが楽だ」という空気に流されてしまった瞬間、主権は音もなく手放されていきます。
だからこそ今、あなた自身が問いを持ち続けることが、次のパンデミックに備える、最も現実的で静かな防衛策なのです。

 

7.関連記事のご紹介:国家・主権・判断力を考えるために

本記事で扱ったテーマは、感染症政策に限らず、国家の意思決定や主権、そして個人の判断力と深く結びついています。もしあなたが、「もっと背景を知りたい」「別の角度からも考えてみたい」と感じたなら、以下の記事も参考になるはずです。

1)「国際機関と民主主義:どこまで委ねるべきか」⭐️

国際協調と独立性のバランスがどのように崩れやすいのかを整理しています。パンデミック政策を理解するうえで、「なぜ国際ルールが優先されやすいのか」を考える手がかりになります。

2)「情報主権とは何か?データ国家の未来」⭐️

「安全」や「専門性」という言葉が、どのように議論を封じる力を持つのかを検証しています。あなたが感じた違和感の正体を、より構造的に捉えられるでしょう。

3)判断を他者に委ねてしまう心理や恐怖が意思決定に与える影響⭐️

パンデミックだけでなく、経済、安全保障、テクノロジーの分野でも共通する問題を理解する助けになります。

これらの記事は、答えを押し付けるものではありません。
あなた自身が考え続けるための視点と材料を提供することを目的としています。ぜひ、関心のあるテーマから読み進めてみてください。その積み重ねが、次に訪れる「非常時」において、流されない判断力を支えてくれるはずです。

 

以上です。